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来年の干支 第2


こんにちは

またまた日が経ってしまいました。
もうすっかり暖かくなってしまいましたね。

今日は前回の続きで干支について書いていきます。


「甲午」は「きのえうま」あるいは「こうご」と読みます。

この「きのえ」というのは、中国の五行思想の「木」「火」「土」「金」「水」というところから来ています。

つまり
「木の兄」で、「きのえ」
「木の弟」で、「きのと」といった具合です。

ここで「兄」を「え」と呼び、「弟」を「と」と呼ぶことから、「干支」を「えと」と呼ぶようになりました。


また知っている人も多いとは思いますが、念のため言っておきますと、「干支」は一年の自然活動を表したもので、ネズミとかサルとかの獣に当てはめたのは、中国史では春秋・戦国時代頃からではないかと言われています。

あの獣たちは後付けだそうです。


ちなみに十二支の呼び方は次のとおりになります。

 子・丑  ・寅 ・卯 ・辰 ・巳・午・未・申 ・酉 ・戌  ・亥
 し・ちゅう・いん・ぼう・しん・し・ご・び・しん・ゆう・じゅつ・がい



また干支は「五行思想」や「陰陽思想」などとも密接な関係があります。

例えば、亥の月と言えば、旧暦十月(現在の十一月)を指します。
十一月は口切や炉開きを行う、茶人にとってはとても大切な月ですね。
この月は陰陽の気では最も陰気が強い月となっています。

さらに亥は五行思想では「水」を示しますので、炉開きの日は「亥」の日を選んで行うと、火災などの「火」の難を打ち消してくれるそうです。



話がそれました。
「甲午」についてでした。


まず「甲」についてです。

これは甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の第一として知られています。よく甲乙丙丁などが日本の等級で使われていたこともあるので、身近に感じる方もいるかもしれません。

「甲」の字そのものは亀の甲羅の形から取られたものだとされます。
五行では「木」の属性にあたり、生命の芽生えを象徴するものとして「きのえ」と呼ばれます。


一方「午」は、十二支では折り返しにあたる七番目に位置します。つまり「後半」というわけです。
「正午」という言葉は、一日の折り返しというわけです。

これまで成長してきた自然の生命は、このときを境に斜陽していきます。
「午」の字の由来は「忤(ゴ)」からで、この字自体は「さからう」という意味があります。


そして物事が始まる「甲」の字と、物事が折り返す「午」という字が合わさり、来年の干支「甲午」になります。

つまり一年が折り返し始めるという意味で干支の一回り六十年を一時間であらわすと、ちょうど折り返しの31分目に当たるわけです。


折り返しには様々な意味がありますが、干支にとっての大きな意味合いは「陰」と「陽」の気の移り変わりに大きな意味があります。

「陽」の卦が「陰」に変わり、あるいは「陰」が「陽」に変わる場合もあるでしょう。

人間万事塞翁が馬ともいいますが、何が良くて何が悪いかなどは後になってからじゃないと、わからないものです。


来年を迎えるにまであと約半年。

そんなことをつらつらと考えてみるのも面白いかもしれません。



それでは、また。






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業躰さんのお話し


よく、裏千家流の茶道の先生の内、特定の人のことを業躰さんと呼ぶことがあることを知っていますか?
裏千家以外ではあまり使われない呼称なので、他流派の方では知らない方もいると思いますね。

「業躰」とは、「ぎょうてい」と呼びます。
裏千家では今日庵業躰ナントカ先生と呼びますね。

そんな「業躰」さんですが、元々は家元に居住して斯道(しどう。ひとつの専門的な道のこと)の修行をしている人のことを指します。
他流派ではあまり使われず、裏千家でのみ昔からそう呼んでいるようですね。
裏千家の内弟子の暮らす部屋には、裏千家11世玄々斎が直筆された「業躰部屋心得」という心得書が残っているそうです。

現在では御家元の内弟子として茶の湯を学んだ人のことで、家元に変わって各地に指導をされる先生のことだけを指す場合が多いですね。


まあ、茶道用語としての「業躰」は上記の説明でいいのですが、本来の「業躰」の意味はなんなのでしょう。

まずは「業躰」という言葉を紐解いてみましょう

「業」という字の意味は「家業」「職業」に代表されるように、暮らしの手だてを得る為の仕事のことを指します。
学生の本分は学業で、職人の本分は職業という訳です。

そして「躰」という字は「体」「躯」などと同じ「身体」という意味を持ちます。

二つ並ぶと「暮らしの手立てを得る」「身体」になりますが。さらにその文章を押し進めて、「暮らしの手立てを得る為に身を捧げる」としてみましょう。

「身を捧げる」というと、どういう状態でしょうか。

家業を持つ人とはつまり、家で何らかの仕事をして、生活の糧を得ている人のことです。つまりは工芸人や職人のことですね。その仕事に身を捧げるということは「家業を引き継ぐ為の身体」という意味で、つまりは家業を継ぐ為の後継者のことをそう呼んだのです。

もっとも今はあまりその意味では使われなくなりましたが…。

つまり「業躰」という言葉には「業を引き継ぐ人」という意味で、後継者や弟子のことを指すのですよ。


明日は旅行に行ってきます。子供と触れ合う時間、とっても楽しみです。

それでは今日はこの辺で。
さようなら。

「本歌取り」のお話




「本歌取り」という言葉があります。皆様ご存知ですか。

「本歌取り」とは、簡単に言うと、
「古い歌を手本とし、新しい歌を生み出すこと」です。

もともと和歌の用語なので、現役の高校生の方がしっているかもしれませんね。

藤原俊成が生み出し、藤原定家によって大成されたというこの技法は、
『古今和歌集』によく見られ、その特徴の一つとして挙げられます。

受験生の皆様は覚えておいて損はありません。


さて、この技法について、二条良基の書いた連歌論書『連理秘抄』というものがあります。

それより引用します。

  古歌をよくよく覚悟すべし
  また採り様を知らざれば、可笑しきものになる也、あざやかに採るべし
  しかし古物の様なるも悪しく、
  また一向に本歌とも聞こえぬも詮無い

  ※覚悟・・・よく知って覚えておくこと。
  ※古物の様・・・使い古したものの様  

  本歌とするべき古い歌を、よく知っておきなさい
  また引用の仕方を間違えると、変になるので、上手い具合にやるように。
  上手く出来ても、使い古した感じに聞こえると良くないし、
  本歌がわからないほど変えてしまっても、本歌取りの意味も働きもなくなる。


とありますが、これはまあ和歌のお話です。

茶道具でよく言われる「本歌取り」も、この技法をもととしますが、
違うのは、家元や茶人などが既に好んだ、いわゆる「好み物」を少し変えて、
自分の好みにすることを「本歌取り」とか、「再好み」などといいますね。


これは思っているよりもずっと難しいことで、本歌に近すぎるとただの真似ですし、
遠すぎると本歌取りとはなりません。

真似と思われないように、引用しつつ、自分の創意工夫を織り込むのは難しいでしょう。

茶碗でよく「仁清写」や「乾山写」というものがあります。

これも上絵付けの大成者である両巨頭に対して、本歌取りを目指しているのかも
しれません。



それでは今回はこの辺で。
さようなら。

プロフィール

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ゆげ丸
性別:
男性

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