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珠光のお話①

珠光さんのお話


空海さん、能阿弥さんと少し話したので、この人の話もしなければならないと思いましたので、今日はこの人についてお話ししようと思います。


多分話すことが多いので、何回かに分けると思います。

今日は一回目ということで、世間で浸透している珠光のイメージについて話そうと思います。
その次は、そのイメージと現在の研究による実際について話します。
その後はまたその時に決めましょう。



ではまず珠光のイメージについて時系列で簡単に箇条書きをしましょうか。


 1、奈良生まれ。
 2、奈良の称名寺の小坊主だった。
 3、能阿弥より将軍家茶湯を習った。
 4、大徳寺一休宗純より印可を受けて、園悟の墨跡をもらった。
 5、宗珠、古市播磨、武野紹鴎始め多くの弟子がいた。


ということですね。特に能阿弥との関連や一休禅師への参禅、それに利休へと続く武野紹鴎との師弟関係が有名です。

ちなみに宗珠というのは、珠光の養嗣子で後継者とされた人物です。園悟の墨跡や投げ頭巾茶入、能阿弥の秘伝書であった『君台観左右帳記』を譲られるなど、実質的に珠光の茶の湯を継承した人物とされています。今はあまり浸透していませんが・・・。

古市播磨という人は珠光の書いた『心の師の文』の相手として知られていますね。




次に珠光が持っていたとされる道具はこちらです。

 1、園悟克勤の墨跡
 2、投頭巾茶入
 3、徐熙の鷺の絵
 4、珠光青磁茶碗
 5、松花壷


園悟の墨跡は一休さんから教えを受け、「茶禅一味」の境地を得た逸話で知られていますね。

珠光さんのイメージはそれまで貴族社会の中で存在していた茶の湯を下々にまで広めたことで茶の湯の開山、あるいは茶の湯の祖と言われています。
さらに言うと、珠光さんは利休―紹鴎といった現在に繋ぐ茶の湯の祖として名が知られています。


でも、その話は果たして本当でしょうか?


本当に珠光さんが茶の湯の祖ならば、後継者であった宗珠から続く宗次―宗印という珠光の後継者には、何故焦点が当てられないのでしょうか?


侘び茶を提唱した珠光が、何故「徐熙の鷺の絵」などの高価な道具を所持していたのでしょうか?


では、この珠光像は果たして正しい見解なのでしょうか?



そこら辺のところは次回にお話ししたいと思います。


それでは今日はこの辺で
さようなら。

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