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茶楽悦楽

茶道具のオススメや好きなものを中心にレビューします。

   

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禅語「無事是貴人」のお話


今日は私の好きな言葉についてお話させていただきます。

その言葉は「無事是貴人」です。



この言葉は臨済宗の祖である臨済禅師の言葉をまとめた『臨済録』という書物にある言葉です。

意味は直訳すると

「無事である人こそが貴人である」

という意です。そのままですね。
一応、本文と解説を載せておきます。


 【本文】
    無事是れ貴人、但だ造作すること莫れ、祗だ是れ平常なり

    無事である人ことが貴人である。
    無事とは作為せず無造作(あるがまま)であること。
    つまり日常を平常として過ごすことである。



当時の禅宗が栄えたのは、中国唐代の頃でした。初祖達磨から六祖慧能に続いた後のころですね。


それまでの中国の思想としては、孔子、孟子、荀子などの儒教の考えと、老子・荘子らの老荘思想の両者が並び立っていました。


儒教の教えは統治者に向いたもので、儒者は政治の中枢で活躍していました。

一方民間の間では、老荘思想が民間信仰と結びつくことで、深く根付いていました。
 
大乗仏教の一派である禅宗もこの老荘思想の影響を受けており、無為自然を尊び、清貧に隠棲することを、その教義に取り入れました。
 
この言葉にもそんな、老荘思想の影響が見られますね。

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象牙? ラクト? 茶入蓋のお話

最近セブンイレブンで売っているブラックサンダーアイスにハマってしまいました。
いつもはピノか雪見だいふくの私が、ふとした折に買ってみたブラックサンダーアイスがとても美味しく、初めて買った次の日に、一週間分として12個買って帰ったら、妻に怒られました。

私です。

さて、今回は茶入の蓋についてお話させていただきます。

もともと古い茶入の蓋は、象牙製のものがほとんどでした。

何故象牙が使われたについては、諸説ありますが、おおよそこういうようなことだろうと考えられています。


 1、希少性がある。

 2、加工しやすい。


まず、1については現在でも同じように希少性の高さが、ひとつの価値とされていますので、
改めて説明の必要はないでしょう。
ただ、当時よりもずっと手に入りやすいものだと考えられています。


次に2つめですが、これは硬さの問題です。

例えば、先の1については、他にも候補があったろうに思えます。

翡翠や珊瑚は昔から日本では希少性のあるものとして見なされていました。

しかし、翡翠は鉱物の為、陶製の壷の蓋には硬すぎて、茶入本体に傷をつける可能性がある為、選択肢から外されています。

珊瑚は象牙と同じく、自然由来の宝石なので、可能かと思われますが、珊瑚自体の大きさが、茶入の蓋には足りないものが多かったのでした。さらに日本でも珍重された珊瑚は、高額になればなるほど赤みが強く、茶の湯の席にはそぐわないものでした。
(俗に言う血赤サンゴと呼ばれていますね。)

そのほかにも、当時の同朋衆(簡単に言うと、将軍に侍る文化人)による見立ても大きな要因の一つです。
あの乳白色の蓋が乗せられた茶入には、何とも言えない気品が感じられますね。


まあ、そんなことを言っても、ワシントン条約以降、象牙を取り巻く環境は厳しくなり、各国間での
象牙の輸出入は禁止されました。
つまり国内に残っている少ない象牙でやりくりしなくてはならなくなったのです。

象牙は小さい蓋ならともかく、それなりの大きさの蓋を作るには材料がどんどん減って、高価な物になっていきました。

そうした中、開発されたのがラクト蓋と呼ばれるものです。


ラクト蓋とはすごく大雑把に言うと、牛乳を固めた象牙風の蓋のことです。

もう少し丁寧に説明すると、牛乳を加熱した時に表面上にできる膜がありますよが、あれは牛乳の中にあるたんぱく質が膜状に固形化したものなんですが、これを化学的に精製し、抽出した「乳たんぱく質」を素材としたものがいわゆる「ラクト」です。

ラクトアイスなどの「lacto」という言葉は、ラテン語の「乳」という言葉ですが、茶道具的な意味では、乳たんぱく質を素材とした「人工象牙」のことをいいますね。


現在、日本で作られている茶入蓋の多くは、
「象牙(本象牙)」「ラクト(人工象牙)」「樹脂製(プラスチック)」
の三種類となっております。


(上から 象牙、ラクト、プラスチック)


ラクトは非常によく出来ており、本象牙のようにマーブル模様が浮き出ています。
また質感や重みも非常に象牙に近いものがあります。

樹脂製の蓋の場合、ラクトのようなマーブル模様はなく、
重さも軽くなってしまいます。
さらに見た目も若干良くない感じですね。




★★ここだけの話★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

★ ラクト蓋を削るのも、象牙蓋を削るのも、同じ加工賃が掛かります。
★ 小さいサイズのラクト蓋を作る場合、象牙蓋とあまり金額が変らないのです。
★ (多少は変りますが)

★ 茶入が大きな口の肩衝や、内海、大海になると、それに合わせる象牙が
★ 少ないので、結果的に高額になります。
★ 
★ これから陶芸教室で茶入を作って、仕服や牙蓋を仕立てる際は、
★ 少しだけ、考慮すると良いのかもしれません。
★ 
★ 



それではブラックサンダーアイスを食べて寝ることにしましょう。

それでは今回はこの辺で。
さようなら。

更好棚のお話

さて、先日「本歌取り」についてお話しました時に、
更好棚について思い出したので、今日はそれについてお話します。

さて「更好棚」を知っている人もいれば、知らない人もいると思いますので、簡単に説明させていただきます。

まず、前提として利休さんの使われた「三重棚」というものがありました。

これは全て桐材で作られた棚で、天板、上中棚、下中棚、地板の4枚で構成され、寸法は奥行幅共に約一寸(約30.3cm)で作られていました。


   これです。

利休好という記載のものも多いですが、好んだというより、寸法を指示して作られたようなので、ここは「利休形」というべきですね。

さて、その三重棚を本歌として、新しい棚を好んだのが、裏千家11世の玄々斎精中さんです。

玄々斎は裏千家の血筋ではなく、三河奥殿藩の藩主、松平乗友の子として生まれました後、わずか10歳で、当時裏千家の家元10世認得斎の娘と結婚して婿入りし、裏千家を継ぐことになったのです。

ちなみに玄々斎のお兄さんは、尾張徳川家の家老となった渡辺又日庵さんです。

家老の弟が家元っていうのはなかなかレアなケースだったようで、これまでの尾張徳川家の茶道流儀は代々有楽流だったのに、この時だけ裏千家になるというレアケースが起きています。


失礼、話がそれました。

その玄々斎さん(当時は虚白斎)は利休形の三重棚を見て、考えたのでしょう。
さっき皆さんが感じたのと同じ感想だったのだと思います。

私はこう思いました。




高過ぎません?


座って点前するのに、三重棚は高すぎませんか。


多分、私と同じことを思った玄々斎(しつこいようですが、当時は虚白斎)さんは、天板の一番上を切り取るという荒業にでました。

そして、出来上がったのが、桐材の二重棚です。
この時は「虚白斎好 二重棚」となっています。


さて、玄々斎さんは幕末から明治と激動の時代の家元さんです。

幕府の力がなくなり、禁裏の発言力が強くなっている時期でした。

玄々斎は大名の庇護のなくなった茶道の隆盛を目指し、禁裏や明治幕府への接近を目指しました。

立礼棚の開発は、その後の茶道の隆盛の契機になった素晴らしい物でしたね。

さて、当時はただの桐木地の二重棚でしたが、これを禁裏に献上するにあたって、その二重棚を桐木地から黒柿合爪紅に改めました。



一度自らの好みとした棚をさらに変化させて好んだことから、「更」に「好」んだ棚として、「更好棚」の名が付きました。

これによって茶席に飾り置く棚として、更好棚は高い評価を受けます。

ちなみに私は裏千家15世鵬雲斎の好んだ「黒柿合爪黒 更好棚」も好きですね。

黒柿合塗に仕上げていながらも、柱は木目を潰して上品さを生み出すところが、渋いなーと思います。

さすがカリスマ大宗匠です。

もうすぐ卒寿だそうですね。


それでは今回はこの辺で。
さようなら。



「本歌取り」のお話




「本歌取り」という言葉があります。皆様ご存知ですか。

「本歌取り」とは、簡単に言うと、
「古い歌を手本とし、新しい歌を生み出すこと」です。

もともと和歌の用語なので、現役の高校生の方がしっているかもしれませんね。

藤原俊成が生み出し、藤原定家によって大成されたというこの技法は、
『古今和歌集』によく見られ、その特徴の一つとして挙げられます。

受験生の皆様は覚えておいて損はありません。


さて、この技法について、二条良基の書いた連歌論書『連理秘抄』というものがあります。

それより引用します。

  古歌をよくよく覚悟すべし
  また採り様を知らざれば、可笑しきものになる也、あざやかに採るべし
  しかし古物の様なるも悪しく、
  また一向に本歌とも聞こえぬも詮無い

  ※覚悟・・・よく知って覚えておくこと。
  ※古物の様・・・使い古したものの様  

  本歌とするべき古い歌を、よく知っておきなさい
  また引用の仕方を間違えると、変になるので、上手い具合にやるように。
  上手く出来ても、使い古した感じに聞こえると良くないし、
  本歌がわからないほど変えてしまっても、本歌取りの意味も働きもなくなる。


とありますが、これはまあ和歌のお話です。

茶道具でよく言われる「本歌取り」も、この技法をもととしますが、
違うのは、家元や茶人などが既に好んだ、いわゆる「好み物」を少し変えて、
自分の好みにすることを「本歌取り」とか、「再好み」などといいますね。


これは思っているよりもずっと難しいことで、本歌に近すぎるとただの真似ですし、
遠すぎると本歌取りとはなりません。

真似と思われないように、引用しつつ、自分の創意工夫を織り込むのは難しいでしょう。

茶碗でよく「仁清写」や「乾山写」というものがあります。

これも上絵付けの大成者である両巨頭に対して、本歌取りを目指しているのかも
しれません。



それでは今回はこの辺で。
さようなら。

龍頭茶器のお話

名前だけでちょっと格好良い茶器があります。

龍頭(りゅうず)茶器がそれです。

私が知っている限り、龍頭のものは

・裏千家八世 一燈好 龍頭茶入
・裏千家十一世 玄々斎好 龍頭茶器

の二つがあります。

一燈好の龍頭茶入は、木製の濃茶入として好まれました。
材は桐を使い、牙蓋が付いています。
箱書には「木茶入 銘龍頭」とあります。

裏千家十一世の玄々斎は、その一燈好の茶入の蓋を木地に替えて、
再好されたものです。

「再好」とは、一度それまでの家元達が好んだ形の道具を、一部変えて自らの
好とするもので、有名なもので、「更好棚」などが知られています。


最初、私は龍頭茶器を知った時、時計の摘みの部分の形状のことかと思いましたが、
全然関係ありませんでした。
龍頭
 ↑
 時計のココも龍頭って言うんです。


一燈は龍頭茶入の木目が龍を巻いているように見えるところから名づけられたと言われています。

また、お寺にあるような梵鐘を吊り下げる縄を掛ける部分を龍頭とも呼ばれ、その形状に似ているから、
龍頭茶器と名付けられたとも言われています。

本当はどうなのでしょうか?


最近は、特に見なくなった茶道具ですが、中々由来の多い茶道具なので、

 1、龍を干支として、干支「辰」に合わせる。

 2、龍頭を“梵鐘”に見立てて、道成寺として干支「巳」に合わせる。

 3、龍を「登竜門」として連想させ、5月の節句に使う。

 4、龍を「水の神」とみなして、水に関連して取り合わせる。

などなど、色々遊べると思います。

作家さんものでは、鈴木表朔さんのを見たことがありますが、
あまり作っている人はいないでしょうね。

中々、普段使いやすい茶器とは言えませんが、
形状からして愛着の湧きやすい可愛らしさがあります。

もしも、手に取る機会があれば、様々にお楽しみ下さい。


それでは、今回はこのへんで。
さようなら。

プロフィール

HN:
ゆげ丸
性別:
男性

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